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■【1】 買う側の人のことを考えて ■ 
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――中山さんは生まれ育った街、神戸でカスタムショップ「Moto-Com」を
経営されているわけですが、東京のカスタムショップで修行をされていたん
ですよね。なぜ東京に出て行ったのですか?――

僕が修行をしていた時代は、まだカスタムショップという言葉がない時代
だったんですよ。だから関西だと修行できるお店も少なくて。それに東京と
関西ではお店に持ち込まれる修理やカスタムの車両の数が、まったく違って
いました。だから、同じ期間修行するにしても東京で働いた方が早く一人前に
なれるかな、と思いまして。ほとんどお金を持たずに東京に飛び出て、上野に
あったカスタムショップで修行をしました。

――そのまま東京でショップをやろう、とは思わなかったんですか? ――

やっぱりこの神戸が好きだから。こっちに戻ってお店をやりたかったんです。
でも修行で東京に出たのは正解でした。経験もたくさん積めましたし、
たくさんのビルダーと知り合えましたから。僕は関西のショップの人の知り合い
より、関東のショップの人の知り合いの方が多かったりするんですよ。それも
一度東京に出て人に出会えているおかげですよね。だから当時の知り合いから、
関東のカスタムシーンのことも聞くことができて。神戸にいても情報が遅れて
入ってくることがないんですよ。

――私も神戸出身なので、中山さんのお気持ちはよくわかります。住みやすい街
ですから。中山さんはいつから、神戸で「Moto-Com」をやっていらっしゃるので
しょうか。――

1983年からですね。気がついたらもう、20年以上も経ってしまいました。

―― 多分、中山さんは覚えていらっしゃらないでしょうが、実は私は高校生の頃に
「Moto-Com」に遊びに行ったことがあるんですよ。「Moto-Com」は私の実家の近く
だったので、自転車でよく近くを通っていたんです。もともと私はアメリカンバイク
に興味があったので、学校帰りにお邪魔して、いろんなお話をしていただきました。
生まれて初めてハーレーに跨らせていただいたのが「Moto-Com」なんですよ。――

ごめんなさい、覚えてないです(笑)。

――そんなに足しげく通っていたわけではないですから(笑)。私が「Vulcan」に
乗り始めた頃にも、当時まだ数か少なかった「Vulcan」のオリジナルパーツを見に、
何度かお邪魔しましたよ。――

実は「Vulcan」は僕にとってかなり思い入れのあるバイクなんです。
僕の主催しているメンバーズクラブ「Dead Cats」のメンバーがデザイナーと
して「Vulcan」の開発に参加していたんです。外部のアドバイザーという形で
僕も意見を求められまして、僕なりの「バイクに対するこだわり」を話しました。

――「Moto-Com」からKawasakiへどんなアドバイスをされたのですか? ――

多くの人に支持されるバイクって「性能」じゃないんですよね。「アフター
パーツの豊富さ」に尽きるんです。だからパーツの取り外しが楽な造り方、
例えば、ガソリンタンク下のフレームはハーレーのように1本にして、タンク
を取り替えやすいように造って欲しい、とかね。メーカー側からするとタンク
下のフレームは 2本の方が造りやすいんですよ。でも買った人が簡単にカスタム
できるようにデザインして欲しい、そこを強くお願いしました。ハーレーや他の
バイクのカスタムを手がけてくると、パーツが取り外ししやすいバイク、とかが
やっぱりあるんですよ。メーカー側の都合で造ったのか、買う側の人のことを
考えて造られたのか、バイクをバラしていると見えてきますよね。僕らカスタム
ショップは乗り手に一番近いところにいるので、その声をKawasakiへ伝えて、
「Vulcan」の開発に反映してもらいました。

――「Vulcan」は中山さんが多くのバイクを手がけた知識・経験が詰まった
バイクなんですね。――

ええ。乗り手のことを考えて造られるバイク、その想いを「Vulcan」については
僕からKawasakiに伝えることができた。嬉しかったですね。



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